飯沼飛行士は昭和12年4月、朝日新聞社機「神風」号で東京—ロンドン間(15.357km)を94時間17分56秒(実際の飛行時間は51時間19分23秒)で飛行し、当時の世界記録を打ち出しました。
この快挙に日本国中が沸き、飯沼は大西洋横断を成し遂げたリンドバーグと共に世界的なパイロットとして賞賛されました。
施設は全国の賛同者、豊科町、朝日新聞社の支援で、築120年の飯沼の生家に建設されました。
白壁、瓦葺きの建物で、当時の面影を残しています。館内では写真や新聞記事ほか、遺品、手紙などを展示しています。
〒399-8201 長野県安曇野市豊科穂高3888
休館日 月曜日
入館料 大人 410円
☎ 0263-72-9045
アクセスは下記地図参照下さい。
JR大糸線柏矢町駅から 徒歩約15分
JR大糸線豊科駅から 車 約 5分
長野自動車道安曇野ICから車で約10分
飯沼正明飛行士経歴紹介
(Wikipediaから引用転載)
1931年3月、旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、同年10月、逓信省飛行機操縦委託養成所卒業。
所沢陸軍飛行学校に勤務し、二等操縦士を経て翌年、一等操縦士となり、朝日新聞社航空部に入社。
1935年台湾地震の時、台北-羽田間を10時間23分で飛行し、初の亜欧連絡大飛行の飛行士に抜擢された。
1937年4月6日、英国王室戴冠式奉祝を兼ねて、塚越賢爾機関士とともにで立川飛行場を出発し、94時間17分の飛行の後、ロンドンに到着した(ヴィエンチャン、カルカッタ、カラチ、バグダッド、アテネなどを中継)。
15357kmの距離を飛行時間94時間17分56秒の飛行を行った。1937年、朝日賞などを受賞した。
1941年東京‐ニューヨーク間の記録に挑戦しようとするが、その矢先に第二次世界大戦が勃発、陸軍技師として従軍するが、同年12月マレー半島のプノンペンの飛行場で友軍機の事故に巻き込まれ死亡[1]。
現在、飯沼の生家跡地に飯沼飛行士記念館が設立されている。