七年に一度の特別な三日間。この瞬間を見逃すな!幾多の災禍を乗り越え。
三百年余り続いてきた 「飯田お練りまつり」 人々の思いを乗せて舞い踊る。
■飯田お練りまつり
3月25日(金)から27日(日)。
感染状況や行政の対応を見つつ、通常通りの開催に向けて準備を進めています。
☎飯田商工会議所0265・24・1234
この大宮諏訪神社の式年祭礼に合わせて行なわれているのが「お練り祭リ」で、大勢の人が街に出てねり歩くことから、こう云う様になったらしい。
途中五十余年の休止の時期もあったが、正徳五年のひつじ満水の折、住民が大宮神社の神明様に加護を祈願したところ、幸に飯田の町は泥の海となる難をまぬがれた。領民はその神徳をたたえ、翌正徳六年の申年に中断していた祭りを再興し盛大に奉納するようになったと言われる。
度々の火災で道具の大部分を消失してしまったが、大名行列や東野の大獅子舞などが伝統を受け継いでいる。
外縣・大宮諏訪神社と式年祭
諏訪神社の祭神は、建御名方命(たてみなかたのみこと)と妃の八坂刀売命(やさかとのみこと)の二柱で、建御名方命は大国主命のお子様で、出雲から信濃ヘ渡られ諏訪を神居と定め、国土を開拓された神様です。
桓武天皇の頃、坂上田村麿が陸奥の蝦夷征伐の途上、諏訪明神へ祈願をこめて奥州路へ下ったところ、神助を得て蝦夷を平定出来たのに感謝し、桓武天皇に奉上して諏訪神社の社領を増加し、信濃一国に社殿の修造を賦課し、七年目毎に改造させる制を定めました。これが諏訪を初め当地方で行なわれている「御柱祭」の初めと言われています。 それに起源して寅(とら)と申(さる)の式年毎に諏訪では式年御柱祭が、飯田では御興渡御(みこしとぎよ)の式年大祭が行なわれています。
大宮神社の御興渡御は、大神が信濃の国の統治と発展を心に掛けられ、しばしば巡見せられた遺徳を迎いで、飯田の治平と繁栄の現況を神覧に供する意味からと言われています。
大名行列
飯田お練りまつりのメインの出し物の大名行列は、本町三丁目の出し物で、明治五年申年のお練りが初回です。若州小浜城主、播州姫路城主、奥州仙台城主等の持物 を入手したもので、様式は百万石の格式と称せられ、男持薙刀、白車熊槍、富士形槍などは国宝級の逸品です。行列の仕方、所作、芸は往時を継承しており、 市街地を練る絢爛豪華な行列は徳川三百年の風俗を偲ぶことができます。
大正八年に東京で挙行された奠都五十年祭(市制三十周年)に招聘せられて天覧の光栄に浴し、当時の関係者から日本一の折紙付の文化財です。
飯田お練りまつりについてのお問い合わせは、
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飯田商工会議所
TEL.0265-24-1234
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