幾多の災禍を乗り越えて、 300年余り続いてきた「飯田お練りまつり」は信州飯田の人々の思いを乗せて舞い踊ります。
飯田お練りまつり最終日の27日、前日の雨中の祭りから一転、青天に恵まれ、大名行列をはじめ20近い参加団体が演舞を披露しました。
大名行列は商店街で演じているところを間近に見て、そのあとで地元ケーブルテレビの中継と解説を観ました。江戸時代の参勤交代の所作を現在に伝える貴重な文化だと再認識したところです。伝統を受け継ぐ保存会の人たちが、厳冬の昨冬から稽古を重ね、本番最終日は気温20度に迫るなかでの熱演でした。
noteコラムⅠでは大獅子などの雨中の熱演、Ⅱで大名行列と伊那谷の民俗芸能を紹介しました。
Ⅲは三題噺で締めます。飯田お練りまつりと清水次郎長と都はるみです。
26日午前中、雨が降り始める前に出演団体のひとつ、銀座商店街の演目「銀座次郎長道中」を見かけて、シャッターを切りました。「旅姿三人男」(春日八郎)など4曲にあわせて市内を練り歩くのです。
1947年(昭和22年)の飯田大火からの復興を目指して、銀座通りの商店主らが1954年(昭和29年)の復興祭で踊ったのが始まりです。お練りまつり参加は今回が13回目。小林さんは初めて森の石松の兄貴分「小松村の七五郎」を演じました。
飯田銀座音頭は1967年(昭和42年)に「銀座堀端百年祭」が開かれたことを記念して作られました。翌年、明治百年記念式典が東京で営まれ、銀座まつりが盛大に行われた前年のことです。
「観る祭りから演じる祭りへ」という気力と、郷土愛に頭が下がります。飯田ことばでいうなら「ホントダニ」。
(2022年3月29日記事から一部抜粋)
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