なぜ有名になった長野の名物おやきは何なのか。
昭和56年に知事や教育委員会、関係者で懇談会を行ったときに、食文化を県の無形文化財として定めておく必要があるという話になりました。
2年間にわたって議論や調査をして、その結果5つの食べ物が選ばれました。
選ばれた5つは、手打ちそば、御幣餅、スンキ漬、野沢菜漬、そして焼き餅(おやき)でした。
長野県でも食生活が変化していて、長野ならではの郷土食が消えてしまうことが危惧されていたそうです。県はおやきを文化財に選んだことをきっかけに全国で物産展を開き、おやきを販売する機会を作って知名度を上げようとしたのです。
長野県出身者で作る全国各地の県人会を通じておやきをアピールしてくれるようにお願いもしたというのです。
「おやきを知らないお客さんのなかには、試食用に渡したものをゴミ箱に捨てた人もいました。おばあちゃんたちが作ったおやきの味を知っていただければと思っていたんですが、そういう人を見たときには、『どうして食べてくれないのか』と悲しくなりました。ですから、おやきが知られて定着するまでというのは本当に並大抵なことではありませんでした」。
それまでは県内にもあまりなかったおやきを販売する店も出現し始め、おやき専門店の大西さんによると、調理の工程が似ていることから当初は和菓子店がおやきを扱うようになり、だんだんと専門店が増えていったそうです。
「小麦や雑穀を使った同じ粉ものでも、おやきは麺と比べて、粉を水で溶いて生地にして、中に具材を包んで加熱すればいいので、手間がかかりません。それが日常食として食べられてきた理由として大きいです」
おやきは日常食であった一方で、お盆に仏前に供えられるものでもあったということです。長野市の一部では、夏の時期に採れる丸なすを使ったおやきをお供えしていたといいます。
また、最近では年玉おやきといって、「1年が丸くうまくいくように」という願いを込めて正月におやきを食べることもあるそうです。
「どんぐりとか栗を土器で煮て柔らかくして実をすりつぶし、それを焼いて薄焼き、もしくはクッキーのようなものにして食べていたと考えられます。その粉文化がおやきのルーツに通じていると見ています」。
長野県立大学 中澤弥子 教授
元長野局アナウンサー・現在は東京アナウンス室所属 川口由梨香 氏
長野放送局 記者 及川利文 氏
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